初めて死亡診断書に老衰と記載した時
90歳の女性の利用者は、その年の11月29日に高カロリーの飲み物を
半分ほど飲まれたのが最後でその後、口を開かず食べることが出来なくなった。
今日は12月9日であるから、10日以上の間、口から食事は入っていない。
点滴は継続しているが、診察の度に顔や体がだんだん小さくなっていくように感じた。
朝、最初にその利用者さんの部屋に行くのであるが、「○○さん」と
難聴があったので耳元に大声で話しかける、とウーと唸るようにして
2、3日前は反応していたのであったが、反応しなくなっている。
点滴を持続して行っているのであるが、そろそろ点滴を行うことが困難になってきている。
血管が脆くなり、名人の看護師が行っても漏れてしまうことが頻繁になっていた。
この利用者は脳梗塞となり、左上肢の軽度の麻痺が後遺症として残り、
リハビリを継続し、家で生活していた。
その2年後から物忘れがひどくなってきて、その後1年後に車椅子となり
施設に入所した。
嚥下機能は、低下し食事はキザミ食で水分はトロミが必要な状態であった。
片栗粉を入れてトロミをつけることにより、喉を通過する速度が遅くなり
誤嚥が防げる。
発語は少なくなり活気がない状態となり、それからかなり状態が悪化したその頃、
私はこの施設に勤務することになった。
何回も誤嚥性肺炎になり、発熱が収まって1,2週間後に再び発熱が出現することを
繰り返した。
だんだん誤嚥と発熱の関連がわかるようになり誤嚥の可能性があると、
すぐに抗生剤を点滴で投与すると、その後発熱があっても1から2日で解熱し
重症化を防ぐことが出来るようになり、誤嚥性肺炎は阻止出来たが、
熱の度に階段を一段一段降りるように衰弱していった。
この間に家族とは何回もお会いし、胃瘻などについても話したが希望されなかった。
衰弱し食事が取れなくなると発熱は出現しなくなった。
その頃から点滴は継続しなければならなくなり、家族が望まれるなら栄養状態を
改善する為に適当な病院に入院することも可能であるとお話した。
高齢の御主人は、面会の帰りに病状を聞きに何回も私のいる診察室に来られた。
家族は迷っておられるようであった。
全く食べられず、点滴も漏れるために栄養が十分ではないにもかかわらず、
驚くほど状態は安定しておりこれが老衰なのだと再認識した。
おそらく低いレベルで体のバランスが保たれているのであろう。
私は病院に勤務していた時は、多くの医師が行うように患者さんの容態に
変化があると、すぐに検査を行いその結果に沿って治療を行っていた。
治療により安定していると思っていた。
それ故、何もしていないのに安定していることに不思議な感じを持った。
ずいぶん長く検査は行っていない。
家族はこのまま最後までここで面倒をみてほしいと言われ、1か月以上が過ぎ
お亡くなりになった。
私は今までに大学病院や一般病院に50年ほど勤務したが、
医師になりこの時初めて死亡診断書に老衰と記載した。
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