» <第2章>Vol.23 コロナ禍での変化

コロナ禍での変化

 

前回、このブログに掲載してから、気が付いたら約半年が過ぎてしまった。体調を崩したこともあるが、大きな理由はやはりコロナの影響によると思う。

 

ブログに書いてみようかなと思っていると施設が突然コロナの発生に見舞われる。 

最近の傾向は職員及び職員の家族、新規の入所者に感染を認める。そのほとんどは自宅から来られた入所者に認めた。特に短期間を利用するショートステイの利用者に認められた。

 

新規利用者はコロナに感染しているものと思って対応しようと職員には伝えている。利用者が入所すると直ぐにPCR検査を行う。発熱などの症状があれば直ちに結果が分かる抗原検査も行う。入所日から翌日まで個室対応で隔離し、翌日の午前中にPCRの結果が出るので、陰性なら隔離解除としている。陽性の利用者の中には自覚症を全く認めない人がいる。不思議なことにご家族にも陽性者は見当たらないことがある。利用者は高齢で行動は限られており、無症状でいつもと変りないのでこのような人が多ければ蔓延してしまう事は仕方ないと思う。陽性の人が見つかると慣れたとはいえ、色々と気になる。職員や他の利用者に感染していないかなど懸念する。

防御しているとはいえ少しでも感染の可能性のある職員や利用者にはPCR検査を行う、翌日、全員、陰性の結果を得てホッとする。職員は当然だが職員の家族が感染すると濃厚接触者として休まなければならず施設は人手不足となり頭を悩ます。小さいお子さんがいる人は保育園などがコロナで閉鎖されると子供を見るために仕事を休まなければならない、通常の業務にコロナに関する諸々の事が加わると気分的に余裕がなくなりブログに書こうと思っていることも忘れてしまう。振り返ると数か月もすると書くことすら忘れてしまっていたのだ。

 

考えてみるとコロナ禍の中で随分と私の生活も変わった。全体的には生活が極めてシンプルになった。コロナ禍となりその間に親戚が何人か亡くなったが、いずれも家族葬で葬儀は行われなかった。時間を作って葬儀に行くよりも自宅で静かに故人を偲ぶのもいいなと思うようになった。学会も開かれず、行くことはなくなった。 

もう研究はリタイアーしているので惰性で参加していた学会に参加しない快適さを感じるようになった

 

外出も極端に少なくなった。休日も人が多く集まる場所は避けるようになったし外食もごく限られたレストランのみで、家での食事がメインとなった。時間的な余裕が出来たためか食事を作ることに興味を覚えるようなった。ネットでレシピを検索して作り意外とおいしく出来た時はうれしいものだ。時には大量に作り息子や娘の家族にあげて、どのような評価を得るかも楽しみである。孫がたくさん食べた、孫から美味しかったなどとメールを貰うとすごくうれしいものである。

 

施設でも忘年会や新年会など、少人数の会食さえも行われなくなった。友人などに誘われる事もなくなった。自分の生活ペースを乱されることは殆どなくなり、当初は寂しく感じることもあったが、年寄りの私にはこのことがとても快適に思えてきた。気が付くと毎日同じ時間に妻と夕食をしているようになった。

当初は気になって煩わしかったマスクもすっかり慣れてしまった。マスクなどしなくてもよいときでもマスクがないと何となく落ち着かなくなってしまった。電車などでマスクをしていない人がいると気になるようになった。

でもマスクを着けている社会は心配である。気が付かないが人と人とのコミュニケーションの妨げになっているのは確かである。施設で家族との面談、利用者と接することに障害となっていると思う。言葉と共にその人の表情から感覚的に様々な事を察知していたことを再認識する。 

 

人としての感覚に影響しているのではないかと懸念する。 

コロナ禍の状況に加えてウクライナのことが勃発した。 

戦争をやっているどころではないと思うのだが、やはり人間の愚かさは宿命的なものなのであろうか。

日常のニュースでは虐め、虐待、などの陰湿な犯罪が多くなったように思われ気になる。

 

庭の木に取り付けた巣箱にシジュウカラが宿った。ソファに座るとガラス越しに良く観察出来る、頻繁に出入りし巣作りに励んでいる。こんな時であるからなのか、小鳥の懸命さにとても感動を覚えた。

 

 

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