» <第2章>Vol.19 コロナ禍での利用者と家族

コロナ禍での利用者と家族

 

 

私は老健に勤務して10年になろうとしている。

従事する直前に癌に侵されていることがわかり主に治療の副作用と闘いながら働いてきた、昨年の12月に不覚にも敗血症の疑いで緊急入院となった。高熱と検査データーがあまりにも悪いのでリカバリーは難しいかと思ったが、幸いにも退院できた。入院中、改善傾向となり少し楽になると極めて退屈であった。当初は更なる感染防止の為に面会謝絶であったが、面会が出来る状態になっても病院はコロナ禍の為に家族の面会は全面禁止であった。

 

ようやく退院し正月明けに勤務を開始したが、施設で新型コロナ感染症が蔓延しパンデミック状態となり大変な思いで鎮静化することが出来た。

ようやく施設が落ち着いた状態になった頃、私も本来のペースを取り戻していた。そして、自分の入院経験を踏まえて利用者と家族について改めて考えるようになった、施設ではコロナ禍になって以来、家族の面会は禁止していたが、パンデミック後は更に厳しい感染防御対策がなされ家族は全く施設から消えてしまったかのように思えた。

私が入院中に経験した心細さ、家族に会えない悲しみやもどかしさなどの感情が利用者のことを思うと蘇り重なり合い何とも言えない気持ちに陥った。

 

利用者は私がそうであったように、急に家族に会えなくなった当初は様々な感情が湧いたと思うが時間の経過と共に家族のことを考えないようになっていったと思われた。今から思うと入院中、私は妻や家族のことを考えないように自分を導いていたように思う。これは悲しみや寂しさなどから逃れるためだと理解するが、同じようなことが利用者にもあるのではないかと思った。

 

家族に会いたい思いから精神状態が不安定になった利用者もおられたが、しばらくすると何事もなかったように平静を取り戻し、いつもと変わらず淡々と過ごすようになっていった。しかし家族との面会が儘ならない状態が長期になるにつれ私の中に新たな心配が生じた。家族と会えない期間が長引くことで、認知症の利用者が家族のことを忘れてしまうのではないかという恐れであった。

 

そしてそれは果たして現実となった。老衰が進み終末期の状態となった利用者をお元気なうちに家族に会わせたいと思い、感染防止に十分注意を払い家族に会っていただく機会を設けた。15分ほどの面会としたが、ほとんどは利用者も家族もとても喜ばれ、会わせてあげて本当に良かったと思ったが、利用者によっては面会時に車椅子で眠っていたリ、全く家族を忘れてしまった利用者もおられて、家族がガッカリして帰られたこともあった。

また、家族も去るもの日々に疎しなのか、家族が利用者から気持ちが離れてしまったことを痛感することも経験した。そのたびに私たち職員はなんとも遣る瀬無い気持ちとなった。

 

新型コロナの感染力は恐ろしいが、それにより残り少ない人生となった利用者が家族と離れてしまうことは人間としてなんと恐ろしいことであろうかと思ったりもした。

高齢者は家族と共にすごすことが大切だと思っているが、コロナ禍の経験を通して老健に従事する我々は家族の大切さを考え直さなければならない時なのかもしれない。

そしてここらで老健とは何かを再考して見ることが求められていると感じている。

 

 

 

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