» <第2章>Vol.12 新型コロナ対策下の生活

新型コロナ対策下の生活

 

 

 

庭を見ていて、バラが例年になく奇麗だと感じた。

コロナの為に休日は外出を控え家にいることがほとんどであったので庭の手入れを良く行ったからなのだと妙に納得した。新型コロナ対策のこの期間、日常生活は随分と変化した。今までと同じにしていたら人類は滅亡するよということなのかと思ってみたり、閉店が続いているあそこの美味いとんかつ食べたいと思ったり、フッと思うことにも今までと異なってきたことを改めて感じる。

 

学校が始まらないので、近所に住んでいる孫たちとの関係にも影響がある。マスクをして来て、あまり私に近寄らず、用事が済むと直ぐに帰るようになった。もっと話をしたいのだが私のことを気にかけてくれているのである。

 

所属している学会などもすべて中止となった。この数年、年齢のことも考えてそろそろ引退しようかと迷っていたのであるが、これを機会にもう学会には出席することはないであろう。以前は学会に行くと煩わしいぐらい色々な方にお会いしたのだが、今は知っている医師に滅多に会うことはなくなった。

 

家にいるとき宅配便が来た時にもマスクをして玄関に出て対応するようになった。配送する人もマスク姿である。

 

通勤中も施設でも常にマスクをしている。外すのは昼食時のみである。マスクをしていると職員の顔の表情がよく解らない。面談でもご家族もマスクをしている。 話すときは顔の表情を見て、納得してくれているか、まだ、腑に落ちないのかなど微妙な表情の変化が解らないのは会話によるコミュニケ―ションにどれぐらい影響するのであろうか気になるところである。ご家族も私を知るうえでマスクは妨げになっていると思う。日常生活で相手との二つのマスクを介しての会話はこれがずっと行われるのなら、まだ解らないが影響は少なくないと思われる。数か月間家族の面会が中止となった利用者へのマスク姿による影響は今のところ明らかでないが、マスクをしているので難聴の利用者には普段よりさらに大声で話すようになった。

 

色々な所へ行きたくても行かない状態が続くと行かなくても気にならなくなり、行く必要も感じられなくなるものだ。レストランに食べに行くのも家で美味しいものを食べればそれで満足であり、なければないで他の美味しいものを見出すものだ。食べる機会がなかった卵かけご飯を子供の時を思い出し、食べてみたらおいしいので頻繁に食べるようになった。休日に料理をたびたび自分で作るようになった。自分の生活の変化を考えてみると飲食業に携わる人は大変だろうと心配になる。コンサートやスポーツのライブ中継は行われなくなりテレビを長時間見ることはなくなった。

 

テレビでは昭和に作成されたと思われる時代劇の再放送が多くなり、よく見るようになった。ストーリーがしっかり組み立てられており、俳優の演技やタテもうまい、映る風景も懐かしく美しい。懐かしいスターや現在活躍している俳優の若い頃の映像を見て感激することもある。

 

世界的な新型コロナの感染拡大よる有事の時期に遭遇したことは稀有な経験として捉えているが、精度の高い検査キットの開発、早急なワクチンの作成などが待たれる。

 

もし、この状態が長引くなら我々の生活や文化は今後どうなるのであろうか。

 

 

 

 

 

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