「老健施設と 看取り その2」
終末期のぎりぎりまで老健で看て、最終期には自宅で家族が看取ることが出来るとよいと私は思っている。
実際、老衰の利用者でいよいよというときに自宅に帰り、ご家族全員が揃い一人一人声をかけると、頷きそしてその日の夕方に亡くなった例もあった。
最期まで老健でとなると困ったことがある。老健では医師は一人であり日勤で、夜間勤務の医師はいない。
夜中に亡くなっても家族には医師が来るまで待ってもらうことになる。
病院ではお亡くなりになる患者さんや家族の為にそれなりの設備が整っているが、 ほとんどの老健では整っていないので同じ部屋の方が亡くなった時、同室の人の気持ちはどうなのであろうかと心配になる。
霊安室がない施設も多い。
現在、日本では8割は病院で亡くなり1割が自宅で、老健は0.2割ほどといわれている。いずれにしても老健は今後、看取りの設備を整えなければならないと思う。
家族には老健では病院と異なることを話して了解をとるが、このようなことを忌憚なく話せるためには、随分と時間とエネルギーを費やすことがある。
看護科長は家族が経済的に可能かどうかを判断し、「個室を勧めて静かに夫婦で過ごせるように配慮してくれた」又、「タイミングを見て入浴させてきれいな身体にしてくれた」の声。これは出来そうでなかなか勇気がいることで、よく利用者の状態を看ていなければ出来ないことである。
御主人が入浴しきれいになった事に気がつかれ、感激している姿を見て、我々も感激した。丁度、施設内で介護士が企画したイベントがあり、御主人をお呼びした。
ストレッチャーで目を時々開いている奥さんと、傍に座ってみている御主人の周りには少し異なる仄々とした空気が流れているようであった。
様々なことは経過を熟知している看護科長が配慮してくれたことであり、彼女に対し感謝と敬愛の念を持った。
彼女にとっても、看護師として病院では経験出来ない「やりがい」のあることであったと思う。入浴やイベントの参加は亡くなる1週間前であった。
全く食べられなくなり、点滴だけを行っている状態となり、いよいよだと思ったり、毎日、丁寧に介護してくれている若い介護士は人の死に居合わせた経験がないので、精神的に大きな負担にならなければよいがと思ったりする。
今朝も真っ先に終末期の利用者さんの部屋に行く。
全く食べられなくなっており、誤嚥することもないので聴診器で聞いても肺の雑音はない。
点滴はゆっくり落ちている。〇〇さんと大きな声で呼ぶと、かすかにアーと言ってくれた。診察しながら、おはようと話しかける。
穏やかな顔である。苦痛なことを行わず、苦痛にならないようにすることを第一に考えたい。
お孫さんの結婚式が3週間後にあり、それだけは避けるようにしてほしいと家族に懇願された。
心情的にはそうしておあげしたいが、確約出来ないと答えたことがむなしく感じた。顔を見ながら、結婚式が終わるまでは頑張ろうと心の中で〇〇さんと共に願う気持ちになった。
看取りは医師の私でも多くのエネルギーを費やすが、老健でなければ得難いものがあると感じている。
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