何とかしたい思い・・・
それは、長い間、流れの途絶えたドブの掃除に似ています。
私の子供のころにはドブやドブ川がありました。
流れが滞り、汚泥がたくさんたまっています。しかし、よく見ると、汚泥が沈殿しているその水面の上澄みは透き通っており、そこに小魚が泳いでいることがありました。
小魚はかろうじて上澄みで生きています。
しかし、このような状態が続くと、やがて上澄みもなくなり、小魚は生きることが出来なくなります。
臭いも発生し、周囲に対しても迷惑をかけます。そのうちドブは埋め立てられるでしょう。
とても厄介なことに、ドブの汚泥は器具などで簡単に取り去ることは出来ず素手も使わなければなりません。
そのため、誰もなかなか、きれいにしようと思うことはありません。
誰かが意気込んで行っても、ドブ掃除をする途中で汚泥が舞い上がり、透明なところはなくなってしまい、小魚などの生物が死に絶えることがあります。
また、ドブ掃除を行った人が汚泥に潜んでいた病原菌におかされることもあるのです。
何とか小魚などの生物が絶滅することがないように、そしてドブ掃除を行う人が病気におかされないようにしなければなりません。
いろいろな思いを巡らし詰まるところ、汚水は処理してきれいな水を流すことが必要なのです。
何とかしたいという思いはどんな場面でも同じです。
医療であっても、介護であっても、人生においても・・・
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